美食学研究報告

日本料理の次世代への継承と、更なる発展。日本料理を未来に繋ぐ。

「地図」を見るのはやめて「コンパス」を持とう

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ネガテイブなイメージの料理の世界

日本料理の板前の世界というと、どんなイメージを抱かれるでしょうか?
「厳しい」「しんどい」「辛い」「修行」
こんな言葉が並ぶ方も多いのでは無いかと思います。

最初は雑用&洗い物ばっかり、すぐに怒鳴られるし、殴られるし、いいものが作れてやっと「普通」。重いもの持ち運びせなあかんし、調理場の中は火を使うので夏は尋常じゃないぐらい暑いし、冬は「暖かいと食材が腐りやすくなるから」という理由で暖房は着けません。

「辛い仕事に耐えたら、輝く未来が待っている。」
「しんどい事、やらなければいけない事を終わらせてから、やりたい事が出来る」

こう思っている方、あるいは上司にそう言われている方は多いでしょう。

確かに今まではそれで通用していたかもしれません。
しかし、そういう時代は間も無く終了します。

インターネット、人口知能、AI、ロボット、そういうものの影響は全ての業界に浸透し、もう避けることは出来ません。

そういう話は、少し前の記事で触れました。

参考記事:僕は「親指」を作りたい

我々に必要なのはコンパスである

日本料理の世界も例外ではありません。雑用とか、辛い、しんどい仕事は人間がする仕事では無くなります。「修行」という名の下で、面倒な仕事を若い子にやらせて、低賃金で長時間労働させ、暴力で従わせていたような店は、間も無く考え方の転換を迫られるか、あるいは徐々に淘汰されていくでしょう。
自動改札機が生まれ、駅員さんの仕事が無くなっていったのと同じ変化がこれから全ての業界で現れようとしています。それがいつ起こるのかはわかりません。どういう変化を起こすのかも、まだハッキリとはわかりません。
今までは先輩たちに貰った地図を見て歩いて行けばよかったかもしれません。しかし、そこに描かれた地形は大きく変わろうとしています。これからの我々に必要なのは詳細な道順の書かれた地図では無く、ザックリとした方向性を指し示すコンパスなのです。

原理原則から考えよう

【調理の技法】シリーズは前回で最終回です。
【「だし」について】のシリーズもそうなのですが、これらの記事の中に具体的な料理のレシピとか作り方とか出汁の引き方は書いていません。
何が伝えたかったかと言うと、根本的な考え方、料理の原理原則です。この原理原則という考え方が私の考えるコンパスです。


何か大きな変化が起こったとき、原理原則に立ち返って考えるという方法が役に立ちます。
例え、大きな社会の変化が起こったとしても、基本的な原理原則を抑えていれば大きく道を踏み外すことは少なくなります。
例えば、野球のバッティングで言えば、マシーンを使って「130キロのど真ん中の直球を何回も繰り返し打つ」という練習を想像してください。
試合で130キロのど真ん中の直球だけを投げてくるピッチャーはいません。じゃあ、初めて野球をする人は、そんな練習しても意味ないのかと言えば、そんな事はありません。130キロのど真ん中の直球は打てないけど、外角低めの140キロのフォークボールは打てるという人はいないのです。

しかし、料理の世界では、そういう原理原則を教える人が少ないのではないかというのが、実際に現場で約10年間働いてきた私の印象です。
130キロのど真ん中を打つ練習をせずに、フォークボールを打つようなことをしているケースが多いのでは無いでしょうか。そして、140キロのフォークは打てるけど、同じコースに投げられた140キロのスライダーは打てない、そういう事態に陥り、この業界から離れてしまう人が多いような印象です。

まずは原理原則というコンパスを持とう、それが私の思いです。